昭和43年7月18日  月次祭

                                ※途中から

は、一生が修行じゃ」と教祖はおっしゃられます、信心のない者は、それを一生は苦労だという風にね、生きておる間は苦労と、だからこの世は苦の世であり苦の世界であると、教祖はそれを修行だとこう、え~、修行でも苦労でも同じような事です、同じ事なんですけれども、その修行と頂くということと、苦労をするということによって、その内容が大変違ってくるのです、ね、修行というところには喜びがあり、ね、苦労というところには憂鬱が必ず付きまとう、ね、暗い心が、ね、いわゆる暗い心と明るい心、そういう風に違うてくるのですよ、ね、え~、いよいよ夏期修行も半ばになりました、もう益々皆さんの熱烈な、あ~、もうそれこそ、お~座っておられるそこん所が、ん~、汗で濡れるように、い~、一生懸命皆さんが御祈念をなさっておられますですね、皆さんが立たれた後をみなさん、雑巾で拭いてもらっています、いかに激しいしっこの、まあ御祈念かということがそれだけでも分かります、ね、たった二十分ぐらいしかかかりません修行ですけれどももう一生懸命ですからね皆さん、それで皆さんがそのあの一時からの修行に皆さんが出ておいでられます、先ほども秋永先生がお話なっとったように(お茶を飲まれる)、段々おかげを頂いて、朝の御祈念にお参りをするということはもう身に付いてしもうた、もう生活の一部になってしまったとこう、それが朝の二時半三時といったような時間に起きてこなければならない、それでももう朝の御祈念、しかもそれが奥さんと二人で、のそれがその身に付いてしもうた、ところが昼の御祈念ともなると、非常に体が疲れると言う、ね、そこにまだいわゆるこの苦しさが伴のうておるわけでございますね、ですからどうでも一つお互いのその修行がね、その~、苦にならない、それが身に付いてしまう、そういうところまでね修行を一つ、修行として、もう修行たらしめなければいけません、それを途中で止める人はそれは苦労と、ね、え~、苦労で受けておるから出けんのです、「とてもそれは私どんにゃ出けん、とてもでなきゃ出けん」ね、ですからここんところをですね、皆さんが一つ本気で、自分のものにして行くということ信心とは、ね、そこに私今日は先生のお話しを、まあわずか十五分か、そんくらいあまりのお話しでございましたけれども、もう今までにないすがすがしい、今までにないさっぱりした、あ~お話しであったと思います、内容の深い、それでいて、ん~お話しはあっさりとこう切り上げられる、あっさりと話しておられる、ね、例えば、あぁ一例を申しますと、やはりその日暮らしはその日暮らしだけれども、ね、その日暮らしの内容が変ってきた、内容という事はどういうことか、ね、今日もまたお金の心配、今日もまたお金の心配、というですね、やはり苦労だったけれどもそれが一っつも心配で無くなったというのだ、ね、と言うて明日は明日の風が吹くといったような、その~、投げやり的なものでもなからなければ、ただ神様が何とかして下さるだろうというただいわゆるお任せではない、その内容には、例えば、ね、長い間続けておられる朝の修行がです、ちょっと考えますとね、やはり福岡あたりから、合楽までも、何時間、何時間でしょうかね、まあ四時間なり、またここでちょっと御用でもありよると、それ以上にもなりますでしょう、五時間なりという時間をつぎやさなければならんのでございますから、そりゃぁやはり大変な事、しかもそれが二回ですから、だからと言うて、その呑気安穏なその商売をしておるというわけじゃない、毎日毎日が言うならば、あ~、金銭に、まあ手形に追われておるというような毎日なんだけれども、それが非常に苦労であったのが、ね、苦労でなくなって、もう淡々としてその、楽にそこが出来ていっておられるというようなことをですね、もうちょっとの話しの中にそれを感じ聞きました、ね、その裏付けにですね、その裏付けというもの、それが私共夫婦じゃありません最近は長男もまた次男も、家族がです、もういかにもその家庭雰囲気の中にあってです、皆が楽しかりそうにして御用を頂いておるというのである、ね、嘉郎さんが「私もですよ」っち(笑)、そうそう嘉郎さんもですからどうぞ(笑)、嘉郎さん、ね、それから徹くん、栄治くん、それで先生と、ね、家族の中にその上げてのですね、そういう信心生活、私共の長女がもう、縁がで二ヶ月あちらへ家庭見習いのよう、でおかげ頂いてるん、もう親先生秋永先生の方が良かごたる風です、それこそもう(内のこんやママよりかやすのなぞしり?)というところ(笑)(?)かも知れんけれどもですね、その家庭の中におって初め一月のはずが、もう一月おりたいという雰囲気があるということなんですね、先生のところこそ迷惑なもんですよね、しかもあんなわがままな人ですから、あれはもう本当に迷惑な者でしょうけれどもですね、本当にあのそういう様々な所の勉強というもの、ここでは出来ない勉強がです、もう金に追われておるということの、お~を目の、目の当たりに見るわけです、「明日はいくらいくらの手形ぞ」「いくらあるか」「いっちょんなか」(笑)、ね、それが明くる日のその例えば銀行なら銀行の時間までにはピチーッと出けていくその、忙しいそういう姿の中におるわけなんです、ここにおれば金の心配なんかいらん、いるだけ言うてくりゃ頂かれるのですけども、秋永先生達の所ではそういうわけにはいかんのである、しかも皆が口から合わせてその事に「さあどうするか」といったようなその、張り詰めるような、「だから今日はもう御祈念にも参られんぞ」といったようなもんじゃないわけですね、それでいてやはり朝の御祈念は朝の御祈念、昼の御祈念は昼の御祈念、そしてさあ教会、例えば、さっきもね、会長がその信徒幹部と話しておりましたが、何かその会合、またなにかの用が、御用があると言やあそれにもう一日がかりである、「ああ明日は信徒会ですから私は明日帰られんですな」と言うて、さっきも言うておられましたようにですね、それでもね、それでも結構おかげを頂いておるという、言わば楽々におかげを受けておるという、このへんが素晴らしいでしょうが、修行が内容である、ね、「それはでげんかなるくさ」と、朝は寝放題、ね、夜更かしはすると、いったような生活の中に、そういうものは生まれてこない、もう本当に神様を信じきるというような力、そういう言葉を持っては今日話されませんでしたですね、けれどもそういうようなですね、もう身に付いてきた修行、もう当たり前の事としての修行、ね、いわゆる修行を修行たらしめておられるところにです、家庭生活の方には、何とも言えない雰囲気がです、他人の者が入って行ってです、「どうして難しい家ん中じゃある」というようなものではなくて、まあ普通から言やあこげん難しい雰囲気の、雰囲気はない、家庭はないです、ね、ねどんなに考えてもそうなんですけれども、ね、それがそれを感じさせないと言うか、ね、そこに有り難い雰囲気があると言うか、もう一月でもおりたいと言う、そういうようなものがです、ね、そこん中から頂かれておるということ、言わば、悪席としてないということ、なら形の上にはもうその日暮らしと言うとられるですから、さあもう明日のば今日稼がにゃ出けんのだけれども、そのそれでもです、一つもその悪席したものがないということなんだ、いわゆる楽しゅうやっておるということである、けれどもまだいわゆる昼の御祈念は身に付いてないということ、ね、まだなかなか重荷になっておると言うわけなんだ、ね、これが夫婦で、私は、朝参り、夜参り、しかもそれがね、本当に家庭の中には楽しい雰囲気の中に、店の方または、その、う~ん、家族の者がです、楽しゅう御用を頂いて、ね、しかも楽々とこのような、有り難いその日暮らしが出けておる、段々その日暮らしも垢抜けしてくる、神様のおかげを実感さしてもろうての日々がです、お礼を申し上げなければおられんのでありという、そして朝の願いの参りから、言わば夜のお礼参りといったようなことがです、夫婦でそれが、当たり前の事として出来るような、私はおかげを頂けたら、っに素晴らしいことだろうとこう思う、ね、ですからそれがね、その例えば苦労なら苦労、今の昼のお参りは、現在のところ苦労である、苦労だから言うなら場合には歯をくいしばってでも、「さあこの修行をやりぬかにゃ」と言うて、遣り抜かせて頂いておられるのが、現在秋永先生の信心じゃなかろうかという風に思うです、ね。
  例えば秋永先生所の一つの、家庭、家族構成というものがです、周囲から見てです、決して楽な、あ~、家庭ではないと思われる中にあってです、信心を中心にしてのおかげ、そりゃぁありますよ、人間の家庭ですから、ごたごたもありますよ、ね、けれども例えば、今日のあのお昼の御理解の中にもございますように、ね、ね、信心は家庭に不和のなきが元というのは、円満という意味じゃないって、ね、大きい声も出らんといったようなことじゃないって、それはもし出らんなら出らん方が可笑しいぐらいだと、ね、生きた者の寄り合いだもの、けれどもね、まさかの時にはです、家族中の者が、ね、姿勢を神様の方へ皆向けられるということ、色々と討議に討議は重ねられるけれども、なら結局「親先生にお伺いをしてから」でもう決まって行っておるということ、そりゃあ日頃がです、円満であるようでありましてもです、家内が「右の方が良い」と言やあ、主人の方が「いや左の方がええ」と言う、持って行きようがない、ね、「なら神様にお伺い」「そげん神様神様っち言うちから」っち片一方が言うたらもうそれでお終いなんだ、これではね、家庭に不和のなきが元ということにはならない、ね、だからいかに家族が勢を揃えて、信心の度合いは違っても良い、違います皆、ね、高校もおりゃ中学もおりゃ小学校もおりゃ幼稚園もおるけれどもです、事と言う時に皆が神様の方へ向かれるということ、いかに信心の稽古がよう勢を揃えて日頃出けておらなければ、家庭に不和のなきが元というのはね、大変なこれはみ教えでございましてね、これは本当のおかげの頂けれる大元だということ、先月の新聞にも「大元をねらえ」といったような、あ~見出しでそのことが出ておりましたでしょ、(お茶を飲まれる)、私がそのことと言やぁ、今朝から皆さんにお話ししたんけどもね、昨日あの、渡辺先生が(?)きましてお参りになりますもん、息子さん、御長男が、あ~、東京の方に努めておられた、非常にその仕事の上にも成績がある、非常にまあ言うなら切れでと言うか、頭の良い人、大学でも哲学を収め、もう大変に言わば難しい宗教書なんかもあさりにあさって、とても私共が知らん、知っとるげなことなんかもうもっともっと詳しい、お母さんも皆さんもご承知のように大変信心では後者な方、ね、いわゆる生長の家のしゅっ、あの役員までなさり、それから長年、え~、法華宗ですかねあちらは、南無妙法蓮華経の宗教を何十年間続けられて、女手一つであれだけのことをなされ、あれだけの、お~、ことをしてきた方ですから、やっぱりやり手です、それにその二人の息子さんを、それぞれのまあやはり最高の大学を卒業させて、それぞれの就職までおかげを受けて、奥さんまで迎えてやって東京に行かれて、それで東京の方で、え~、大変、ん~、その仕事が出来るもんですからどんどん精進もしっ、早かった成功も、ね、ところがそういうことがやはりあの周囲の嫉みになるところになったりなんかいたしまして、色んなそのトラブルがあったんです、で仕事もお~大変出来られるので、その業績も上がって行くんですけれども、あんまりその仕事を詰められたために、ちょっと体が疲れなさった、頭を痛めた、ちょっとノイローゼぎみになられた、それで九州の方へまあ帰ってこられたわけなんですけれども、もうそれで、お母さんが言われる信心の話し、あ~、お母さんを通して聞かれる合楽の話しなんか、もう全然そのお話しにならんほど、まあ低級な信心だと、こう思い込んでおられた、けれどもやはりもう本当にですね、何と申しますか、ん~人間、もう、いよいよあの考えた考えのことですね、もう、おぉ、人間を止めたくなるです、ね、人間(はいよう?)したいごとなる、ね、銘銘にはそれぞれのやはり自我というものがあります、ね、ですからその自我が通りませんとです、そこにもうあんたんたるもの、ね、そこには世の中をはかなうというような心が生まれてくるんです、かと言うて自我を無くするということはもう人間失格を意味するのです、ね、そこで心の底には本当にその何かを求めておられる、そういう様子が先生の親子の事ですからよう分かる、ね、毎日毎日、お母さんも辛抱のこっちゃある毎日毎日この忙しいのに、もう参ってきてもですね、もうろくろくそのゆっくり御祈念する暇もないとですよね、家の方も学校の方がるもんですけん、学校の方は鍵をだから、出てこられる間は開けっ放し、もう助長さんがおられません、それから嫁さんが今お産で里へ帰っておりますから、ね、神様にお願いをしてから、あの町の真ん中でですね開けっ放しでやって来るだけでも、やはり度胸のいることなんだ、ね、ですからもうお参りしてすぐ帰えられる、まあよ~うお母さん続くと、もうそれに感心されるぐらい、けれどもあれほど馬鹿でもないお母さんがですね言うならば、「まああれだけの言わば教養を持っておるお母さんが「合楽合楽」と言うて行くが、その合楽というとこはだいたいどういう所か、僕が一つ質問をしてみたい、合楽の先生という方に一遍、一対一で合うてみたい」(お茶を飲まれる)、そういうことを言い出されたわけ、そりゃぁ
もうお母さん日頃にもう毎日毎日そのことは願い続けておられることですから、とにかく合楽に御縁を頂けると思うて、なら今日一緒にと言うので、みえられたのが3・4日前でした、神様のご都合って有り難いですね、私丁度散髪をして下さるために、久保山さんがみえとりましたから、あちらへ下がってた、ここだったらあんな話し出来やしません、けれどもお~私の部屋に(ルミコら?)入ってますから、部屋も(?)から、「ならあちらへまいりましょう」と、もう丁度散髪かかる前でしたから、久富さん、あぁ久保山さん待ってもらって、お話しを始めたんです、私、久保山さん、渡辺先生、その良治さんと、四人で、こりゃあもう本当にね、もうぎりぎりのお話しなんだ(笑)、「ありゃどげな風な意味ですか」っち私は意味を渡辺先生にその、聞かにゃ分からんのです、私にも、あんまり難しい言葉を使われる、あんまり学問をするともう人に通用しない言葉を使いますからね、私には分からん、ね、それがですね、ただお茶飲み話しのようにして、淡々としてお話しをして行かれるうちにです、今日もね、え~、末永さんが言ってるんですよ、これも同じようなケースなんです、「もう毎日死ぬることば~っかり考えておった」と言う、日田からまた二時間も山の奥の方へ入らなきゃならんという人が、私はまるっきりこまんでりごたっとがと思うちか今日は、もうえらい、えらい仲良い人と思いよった、ところがもうそれこそ何ち言うかね、もう目元の涼しい、あの少女雑誌に出ておる人の目元のような優しい目元をしておられる、下はこうひげのこう生えちから熊さんごつしとる(?)だってんですね、も~うとっても優しいんです優しい方なんだ、これは佐田さんの奥さんの親戚にあたる方、毎日毎日ね死ぬる事ば~っかり考えよる、ね、それが先日ですねもうそれこそ強引に導かれて、ここでお話しを頂かれてここで午前中3・4時間おられました、おられる間にですね、その心の中にね、「こりゃあ自分でも助かられるぞ」という心が生まれてきた、そん時、日に頂いたのがね、「回生」ということであった、ね、生まれる、生が再び回ってきたというのです、死ぬる死ぬるがですね、「死ぬるじゃないこりゃあ私が助かられるぞ」と、財産は沢山あるとですよ、この里の出来は良いとですよ、現在はその山の中にたった、奥さんと二人っきりなんだ、大きな家だそうです、それで山があり畑があるという中に、ね、どこにそんならそういう死ぬるごたるというような心が生まれてくるのか分からんのですけれどもです、とにかく死にたい死にたいである、ね、自分がですね、お話しを頂いて行くうちにですね、それっこそこれはここの神様、この先生のおかげで自分は助かられるぞというもうそれこそ喜びがね、心に生まれて、いわゆる回生、心が回ってしまったんだ、目の前が真っ暗じゃったのがこう回ったところがもう明るいのが見えてきたんだ、助かられるぞと、そして一番に思われたことはですね、これは自分だけが助かったんじゃでけん、先祖代々の仏様も助けてもらわんならんと思うたっち、ね、ですからもう善は急げ、昨日夫婦で一生懸命そのお鑑さんをつかれた、ね、そして今朝から佐田さんところへ電話かかってから、さあお魚で、お神酒だと、様々なお供え物を用意されて、ね、自動車で今日はその、参ってみえて、丁度、お~1時の御祈念を仕えたその後から準備をして、3時頃からお祭り、霊祭を仕えさしてもらいました、ね、本当に霊の喜びもさることながらね、神様の喜びもさることながらね、本人自身の心の中の喜びです、それを今日あの末永さんがこう言うとりますよ、ね、「とにかくに目つきが変られた」っち言う、いわゆる先生がいつも言われるね、段々人間が助かってくるとですねこの目が輝いてくるって生き生きと、ね、そういうようなおかげを頂いておる、それがあんた昨日そのお鑑つきをなさったんですよね、(ところが今がのお餅なもんですからその正月のお餅のつもりであんなさったでしょうたい、それがあんたこげんだだぐろなっとりますもん、それであた、せにゃ良かこつににまた久富先生がそれをまたこねないてござるとです、?)こうやって、そして私はそれを見てからもうもうちょいと私はもうもうほんなこて思うちゃならんと思うたばってんからそれが出来た時にはもう可笑しゅうして可笑しゅうして、てんでもこう、(  ?  )、もうお鑑じゃないですもん、かぼちゃんごとしとる(笑)、いや本当ですよ、うんあんた自分の作って可笑しゅうごたる風ですもん、もう可笑しい可笑しいですね、それから私は申しました、ね、あの桃がね、桃のお供えが丁度2・3日前あちらから頂いておった佐田さんところから、それがいっちょん甘なかげな、して「これは親先生がおあがりになされば良かろう」っち言うごたる風で持ってきちゃったつけれども、私はまあ月次祭にお供えしてからと思うちから冷蔵庫の中に入れとったったい、したら今日こう久富先生がそれをお供えしちゃる、ね、そして神饌やらさして頂きながらその、かぼちゃんごたるお鑑が(笑)、あの、お供えになった、次ぎにその桃がこう出てきた、(笑)、出てきたとは良かばってんここへんで崩れてからばらばらになってしまった、ね、だから私が思いましたです、ね、私が最近言っておる私共の信心の世界とうものはです、人間の今までの世界じゃないのだと、ね、言うなら桃源郷が開けてくるのだと、いわゆる極楽の世界が開けてくるのだ、ね、いわゆる桃の、ね、桃の花の咲きみだれるその里というのがあるわけなんだ、これは詩嚢の言葉なんだ、桃源郷なんだ、いわるゆその、暑くもなからなければ寒くもない、痒いこともなかなければ痛いこともない、必要なものが必要なものに現れる、もう何とも言いようのないほどの有り難い世界だというわけなのです、別世界なのだ、ね、だから今日の霊様もね、その桃源郷を願ってござるのであり、同時にその、本田さんって言いますが、本田さん自身もです、ね、「こりゃあいよいよ自分の地獄行きのことばっかり考えておったけれども、この先生の言われる通りにすりゃあ、これは極楽行きが私でも出来るぞ」と分かってきた、ね、分かってきたから、いわゆる目が輝いてくるはずなんですよ、もうそれこそもう大変な喜びでした、ね、私はあれは、あちらで山ん中で拾うてきなさつたかと思うたて(笑)、そしたらわざわざあの、やっぱね好きな、あの岐阜から買いよせなさった、大きな石なんです、それを真ん中にこういう大きな、菊の花が生えておった、いわゆる菊花石なんである、それを自分で作られたどうかしらんけれども、こう始端の台が出けて、その上にこう座るごとなっとる、真ん中に一輪の大輪の菊の花がですね、あの石の中に、本当にもう自然の働きのね素晴らしさに驚きますよもう、どっかどこにか置いちゃるですか、また帰りぎみ見て行って下さい、ね、それをあの岐阜から取り寄せ磨かれたんです自分で、それこそ本田の家のもう、おそらくもう代々宝物になるはずじゃったってす、ところがそういう風におかげを頂いて帰った時に奥さんに言われることがです、「俺は今度お参りする時に合楽の先生にこればお供えする」っち言われた、それが昨日電話が掛かってきた、聞いたごろ、菊の花、「はぁ~もう神乍らなこっちゃこれはもう本田さんが助かるぞ」と佐田さんが喜ばれたのは勿論のことです、ね、私は今日見せて頂いてから、本当に人間がですね助かってくる、ね、地獄のことば~っかり毎日毎日毎日お酒を一升づつ飲まれた、そしてからその酔うては「もう俺は死ぬる俺は死ぬる」が口癖であった、ね、それが一度ここに御縁を頂きおかげを頂かせてもろうて、「私のような者でもこれは助かるぞ」と、「親先生のおかげで助かるぞ」と心が回ってきた、ね、そしたら自分の心の中にはです、もうそこのためにはもう欲しいものが無くなってきた、ね、私は今日帰られる時にです、もう前に頂いておった句ですけども、それを書いてから差し上げました、ね、「徳積みて栄える家や菊の花」「徳積みて栄える家や菊の花」、もうそれを頂いて大変に喜んで帰られました、ね、そういう大変な家ですから、ね、随分と徳も積まれたことでございましょうけれども、その徳がもうなくなって行きよる証拠にはその中心である人が「死にたい死にたい」、そして次々起きてくる事がです、今日も聞きましたが、息子がこういう不孝の、不孝な事で亡くなった、次々と難儀な事が起ってくる、ね、もういよいよもう言わば死に絶えて行くごたる山の中のそういう大きな家が、ような状態、それがですね言わば丁度回れ右をしたように、こちらの方にはねいわゆる、桃源郷の、がね、見え出したわけなんだ、「これは自分のような者でも助かるぞ」という気持ちが生まれてきた、もうここへんのところのです、私はお取り次ぎさして頂いてからもう、お取り次ぎみょうりっち言うたらこれです、ね、もう今まで悪席として我情我欲でいっぱいで、ね、そして自分が益々苦しいところに入って行きよる、その姿が、ね、反対に、こちらを、神様の方を向いてくる、そして助かって行く人の姿に触れる時に、おかげを頂きましたとお礼をさして頂く時にです、もう本当にお取り次ぎをさして頂く者のみょうりはもうここにあると私はいつも思うことでございます、ね、そういうような今日はおかげを受けた方があるんですよ、ね。
  ように例えば話しはまた元に戻りますけれども、渡辺先生の、言わば息子さんも同じような事でございました、それでその「先生に一遍とにかくうんなら僕の質問を答えてもらえるだろうか」まあ答えてもらえるじゃろうかじゃなくて、「答えきるじゃろうか」じゃったろうと思うんですよ、ね、ところが私は答えきらんけれどもですね、けれども私がその、言うたこと一言一言がですね、もう私は馬鹿んごたることばぁかり言うとですよ、もうそれはもう色整然と哲学を説かれる、色整然ともう言わばもう宗教学のですね奥の奥の方を説かれる、ね、その一例を例えば言うとですたいね、言わば、福神的なものと言わばあのお不動様ですね、もういつも腹ば、腹を立て通しに立ててござるという神様と、ね、いつもニコニコしてござる神様がね、というのがあるんだと、世の中には、それがならニコニコしとっても助かるんだと、お不動様のようにも歯をむき出して、いつもこうやってもう、もう食いつくごたる風であってもですね、その奥の奥に行けば助かるん、助かることが出来るんだということを知っちゃるです、そりゃ本当にそうなんでよ皆さん、もう同じ腹かくなら腹かきぬかにゃいかんです、そこに助かる道があるです、ね、そのことなんかでもですね、もうそれはもう本当にもう糸優しい簡単な答えでしたよ、ね、お互いには自我がある、ね、と言うてその自我を出さないならば自分自身はもう人間失格だと、もう死ぬのも同じという意味なんだ、それで私は申しました、ね、「渡辺さんあの金光様のご信心はね、その、お~、人間失格することなんだ、もう私共人間失格することのために一生懸命修行しよるんだ、いわゆる我情もなからなければ我欲もない、そして私は障子一えがままならぬ人の身であるということが分からしてもらい、何にも自分では出来ない、あなたのおかげを頂かなければ出来ることじゃないということを分からしてもらうということは、神様の前に無条件に降伏をすること、両手を上げることなのだ」もうそれこそ目が輝き出しましたよ、ね、もう本当にもうそれはねもうその今まで求めて求めて求めぬいておったことがですね、与えられる喜びっていうものはこちらに通うてくるんです、ね、そしてなら「合楽の信者に自分はなれんかもしれないけれども、おそらくお母さん僕は、合楽の先生の言わっしゃ、あの、行かっしゃるところにどこにでん付いてまわるごたる僕になるような気がする」て言われたげな、その日に帰りがけにあの願いの新聞を持って帰られた、そして何回も繰り返し読まれて、「お母さんこの新聞何回読むか」って、「私も一遍だけ読んだよ」と、「もうこの新聞は大した新聞だ」て、ね、「この新聞はもうお母さん読み直してごらんとにかく大した新聞よ」と、ね、「人間の、ね、もう幸福になる絶対の元が書いてある、信心の求めて止まない、その求める答えがこの新聞のなかに出てるんだ」と、「これはすみからすみまで大した新聞よ」と言われて私自身がびっくりした、渡辺先生が帰られてから、改めて新聞持ってきて自分でまた何遍も読み直してみた、私は昨日若先生に申しました、「今度また七月号が出る、ただ毎月その忙しゅう、またまたという風に忙しゅう出よるけれどもね、この中にはこういう素晴らしいものが込められておるのであるから、これは言うなら文章布教なのだと、ここでお話しをして助かるのではなく、読んで助かるのだと、だからねあんた方これに立ちさっ、立ち触る者はね、本気で思いを込め祈りを込めて、人がこの新聞によって取り次ぎ助けられることを願いとしての、私は御用でなかにゃいかんよ」と言うて改めて申しましたことでした、皆さんもう一変読み直してごらんなさい、それは大した事が書いてあります、垢抜けはしておりません、ね、それは私の話しがそのまま例えば書いてありますから、泥の、泥の臭い感じもいたしますけれどもです、その内容というものを知る時、もうそれは驚くばかりに大変な事が書いてございます、人間の幸せになって行く絶対の元が書いてある、これは人間として、ね、人間として人間が幸せになって行くためにはどうでもこれが必要だという事が、それしかも、もう本当に親切に説き明かしてある、これが6月号だけじゃない、いつもの場合がそうなんだ、私共は本当に稽古しよると言うけれども、今朝にも言うたけれどね、本当に稽古、言われてみてから改めて稽古してみてから、なるほど素晴らしいことだなということが分からして頂いた、ね、(お茶を飲まれる)、そういう風にです、お互いが行き詰まりに行き詰まり困りに困ってまいりますとです、ね、それを与えれるものがここにはある、ね。
  お互いがです、本当に暑くもなかなければ寒くもない、ね、思い患うこともない、ところがね、私共が思い患う。
  そこでですね、私達がいつも修行の心持たなきゃいけません、ね、イライラする問題がありましても、腹ん立つ問題がありましても、それを言わんですむ修行をさしてもらわにゃいけません、なかなか修行が出来ん、今日も、そんなわけでございましたから、もう今日は朝からずーっと御用頂きっぱなしでございました、そして霊祭が終わりましたのが、もうお~、六時ぐらいだったでしょうか、ね、それから夕食を頂きまして、それからお風呂を頂いて、それ、それからあ~、時間がちょっとありますから、その私の部屋がそう築なっとりますから、あちらへちょっと長くならして頂いておるとにちゃんと眠ってしもうとった、家内が起こした時には「もう八時前二十分だ」とこう言うのです、はあ眠らんつもりじゃったけれどもやっぱ眠ってしまっておる、そこで神様にお詫びの印にです、今日はだれっ、どういう風に間違うておっても決して言わんぞと心の中に思うた、それもね、その今日の(?)は出けとる、その御無礼のためのお詫びの印だからもう実に有り難く出来るわけです、ね、神饌室に行きゃもうこげな風にしてからと、時となら「こんげんせんの」と口上言うたいところだけれども、これは今日私が御無礼しておる印、お礼、お詫びの印に言わんですんだ、さあそこにもここにも言わねばならん事がいくらもあった、けれどもそれを言わない、言わない事を修行さして頂いた、そして後で考えてみることにですね、言わんですむんです、言わんで良い事なんです、けれども私共は日頃は言いよるわけです、ところがこちらに落ち度があった、あってお詫びの印に言わんですむという修行をさして頂くとです、「はぁ言わんですんで良かった」という有り難いものが、神様にそこから通うてくるものがある、ね、修行というものはそういう効果があるものなんだ、ね、そこで秋永先生の修行じゃないけれども、それ、そういう言わんですむというなら言わんですむというようなことがです身に付いてしまうまではそういう修行を繰り返さにゃいかん、ね、朝の御祈念が言わばもう秋永先生夫婦の上に身に付いてきた、ね、そしたら家庭の中にその仕事との中に、ね、さあ言う事聞かじゃった子供達、それほどでもなか言う事聞くとばっかり持ってから(笑)、最近はもう言わんで良かわけですたい、ね、あれはもう言わんですむ、しかも楽しゅうやってる、嘉郎くん、徹くん、英次くん、三人がもう話し合ってわいやっていく、もう先生は、もう最後はポンと投げ出してから、またこう戻てくりゃそれで良かというようなそのおかげを頂いておる、それは毎日毎日が言うならば厳しいその日暮らしであるけれども厳しいその日暮らしだけれども、楽ら~くとしかも楽しゅう有り難う出けておるというところにね、ある、だから昼の御祈念もね、またいつの内にか、それが身に付いてくる、一時の御祈念はやっぱまだ苦労である、ね、まだその言わば、あ~それが重荷になっておる、けれどもそれとても段々当たり前、あぁ、それがね、苦労がもう本当に修行として頂けれるような時期が来るだろう、ね、こういう生き方で行くところにですね、私共のそこに桃源郷の約束がある、ね、暑い時に寒い時に寒い思いをせんですむ暑い思いをせんですむ、必要なものが必要に応じて、同じその日暮らしと言うても大変な大きなその日暮らしがしかも楽々と出けてくるというようなですね、おかげの世界というものが展開してくる、そういうおかげを願うのでございますから皆さん、修行というものがいかに大事なものか、中途半端のものじゃいけないことか、それが自分の血に肉になってくるところまで修行なさなければいけないものかと、ね、そういう皆さんの真心一心の修行がなされる時に、今という二人の方の例を申しましたように、ここにはそういう死ぬか生きるかというような人でも、助けねばやまんというような、ものがここん中には確かにあるのだということ、ね、それに触れることが出けるのだと、改めてこの新聞は大変なものだということ聞かせてもろうて、読ましてもろうたら、確かに大変なものがここにあるんだと、ね、人間幸せになっていくというだけではなくてです、あの世この世たけを通してから、だけではなくてです、ね、本当にそういうおかげの頂けれる大変な事がこの御広前にはあるのだと、それを私共が修行によってよりしか頂けれることは出けんということ、ならその修行がです、「苦しい苦しい」というのではなくて、「とても私どんじゃ出けんがの」と言うのじゃなくてです、出けんところを辛抱しぬかせて頂くところからです、それが自分のものになってくる、それが身に付いてくる、毎日毎日が有り難いのお礼参拝、家では結構有り難いおかげを受けられておる、秋永先生達がおそらくですたいね、これが六十になっても七十になっても、お婆さんと二人でお礼参拝が出来れるように段々なっていくであろうようにです、そういうことになってきたらどういうことになるだろう、そういう意味をお互いが持たなきゃいけない、「こん暑かつにいつまで参らにゃんじゃかの」(笑)「もういつまで参らにゃんじゃろか」というような修行ではなくてです、それが自分のものになってしまう、自分の身に付いてしまうならです、ね、家の方は楽々と楽しゅうおかげの頂いていけれる、言わば桃源郷がもうそこにです、ね、桃源郷での営みの見本のようなものがね、そこには営のまれ続けていくわけ、ものです、ね、そういうおかげを頂くために、今日は暑いからね、私はもう、秋永先生のように、さっぱりとしたね、すきっとしたお話しをさして頂こうと思いよったら、結局またこういう難しい事になりましたけれどもね、そういうおかげの頂けれる御広前に皆さんが御神縁を頂いておるのですから、それがうんなら、あのそういう大変なものがあるんだというその大変なものに触れて行けれる楽しみがなかったら、合楽通いも大した事はないと私は思うのです。
                                                                        どうぞ。